日本の心と茶湯の宇宙はおもてなし

今日は,このタイトル読んで「マジでそれだわ〜」って思った哲学的ギャル以外の日本人にぜひ読んでいただきたい内容です.

「茶湯」に秘められた精神は二十一世紀の世界的潮流になりそう(個人的主観)なので,この文化を持つ日本人こそ,自らの文化を踏襲し,世界の他国の人が日本人的情緒の概念を得る前に,社会実装として落とし込んで欲しいと願っています.(私も頑張ります.)

今回の記事は,裏千家の倉斗宗覚先生と関根宗中先生の講義のごく一部を基に,私が少しばかり調べてたり解釈したものをめっちゃほんの少し付け加えたものになります.間違っている部分があるかもしれないので,参考程度に読んでください.(茶湯や千利休関連の文献などを読んだり買ったりしていますが,歴史が絡み合っていたりうんたらかんたらで,結構根深いので,今回は講義内容を主軸に据え,超基礎的内容に留めております.)

上の写真は恥ずかしながら,私の点前です.先日,倉斗先生と関根先生を大学にお呼びして開いた茶会での写真です.

今回の最終ゴール:おもてなしってなんぞや

目次:

  • 喫茶と点茶
  • 「茶湯」とは何か
  • 茶湯と宇宙
  • 「綜合藝術」としての茶湯
  • 侘びの心髄
  • すべては「おもてなし」へ
  • 補足

・喫茶と点茶

茶文化には大まかに,喫茶と点茶があります.

「喫茶」とは「茶」を「喫する」ことです.「喫」とは普段は「喫煙」などの字でよく見ますが,「食べる」「吸う」「受ける」などの意味があります.つまり喫茶は楽しむためのものを意味していると考えられます.現在は喫茶店などに見られるように,世界中に喫茶文化が広がっています.(スタバとか.茶じゃなくて豆かもしれんけど.)

一方で点茶とは「茶」を「点てる」ことであるため,「点てる」ことに重きがおかれていることがわかります.

従来,中国では「喫茶」文化であり,日本では「点茶」文化でした.(茶を飲み始めたのは中国とされており,陸羽の「茶経」に初めて「茶」の字が登場するようです.)

喫茶は茶を飲む行為ですので,皆さん経験があると思います.では,聞きなれない点茶とはどういう意味なのでしょうか.

この点茶には,ただ茶を入れれば良いわけではない,深い意味があります.ここに千利休によって大成された,「茶湯(ちゃのゆ)」があります.茶湯は千家によって,茶道として現在まで続いています.

日本人が忘れてしまった「点茶」の精神,ここに東京オリンピック誘致で有名になった「おもてなし」の心があります.茶人は何を目指して茶を点てたのか,簡単に「茶湯」の根本的な精神を紹介します.

・「茶湯」とは何か

茶湯とは簡単に言うと「お湯」のことです.






...ほんとですよ!笑

ちなみに『利休百首』では

茶の湯とは,只湯を沸かし,茶をたてて,飲むばかりなることと知るべし


とあります.これだけだと,ただ沸かすだけの「湯」の重要性はあまりわかりませんが,『茶湯一會集』や『南方録』には「湯」に関する厳しい言及があります.(その他の多くの内容の説明が必要となるため,ここでの引用は割愛します.)

そもそもどういう時に茶を点てるかというと,お客さんをもてなすときなのですが,これがまた大変なのです.

企画者である亭主から「御茶一服」のお誘いのお手紙が送られてくると,4時間は拘束される「茶事」に出向くことになります.茶事は昼食付きです.(まあ,いまの時代でいうと超高尚な食事付き4時間スマブラをしに友達の家に行くみたいな感じでしょうか.)「初座」「中立」「後座」からなり,初座では,懐石料理が出され,後座でついに茶の登場です.

この4時間に至る茶事で最も注意を払わなければならないのが,「湯の温度」です.「茶湯」とは字の通り「湯」がメインであり,「湯のことだけを考えろ」とまで言われるほどです.

現在のお点前がどういう風に行われているかや,お茶の味の占めるウェイトがどのようなものかはわかりませんが,「茶湯」の哲学的には茶はお湯に近ければ近いほど良いとされ,客に出したお茶が適切な温度であるかどうかが,茶席の良し悪しを決める最大の点であるようです.

出典はわからないとのことだったのですが,ここで中国の言葉を紹介します.

第一煎は甘味が出る
第二煎は苦味が出る
第三煎は渋味が出る
第三煎を超えたる味を“淡”と言う


これは人生における人格形成と同じだという意味で使われているようです.

色々解釈はあるかもしれませんが,「お茶は三度煎じて味わい,煎じるごとにお茶の旨味(本質)が出て来る,そしてそれはお茶を知るものにしか味わえず,最後はお湯になる」,また,「人間も若い頃は甘い言葉・経験を求めるが,自分のためなるのは苦い言葉・経験であると気づき,壮年に至ると,人間としての本質(渋み)が出て来る.死ぬ前には何者でもなくなる」といったようなニュアンスであると思います.

重要なのは,この第三煎を超えた味がありそれが本質であるということです.「淡とは水の如し」と言われる「淡」が意味するのは,無色・無味・無臭の水こそが,目指すべき茶であり,人格(悟り)であるということです.

この「淡」の境地を知るためにはさらにもう一歩進まなければなりません.宇宙の世界へ.

(京都市オフィシャルサイトである京都市情報館のページにも茶湯の歴史がまとまっているのでぜひ見てみてください.)

・茶湯と宇宙

茶湯の世界はとても深淵です.どれくらい深淵なのかというと,茶室が宇宙を意味するくらい深淵です.






...ほんとですよ!笑

一つ前の疑問,茶湯が「淡」を目指す理由を知るには,「陰陽和合」の観点が必要です.陰陽で気づいた方がおられるかもしれませんが,「淡」という字は陰である「水」と陽である「火」が合わさってできています.そして先ほど強調した「湯」も,水と火によって生まれます.

「茶湯」には,お茶が中国から入ってきたこともあり,易経の哲学である「陰陽」や「五行(木火土金水)」が取り込まれています.茶室も,どの方角に何が来るかが決められており,茶に使う湯を汲む時間(寅の刻,早朝3-5時)や,茶席に使われる「八卦盆」や「風炉釜」などの構造も,五行で表すことができます.(相撲の土俵や平安京なども五行が関わってきます(ハッケヨイ=八卦吉).)

陰と陽の和合は天と地の和合=宇宙を意味し,つまり,火と水による湯の創造は,宇宙のを意味しています.同様に,五行に法って完結された空間である茶室も宇宙を意味しています.

ではその宇宙として結実される茶湯で行われる「お点前(茶事)」は,何を意味するのか.

・「綜合藝術」としての茶湯

岡倉天心『茶の本』より,少し長いですが重要なので以下を引用します.

茶の宗匠の考えによれば藝術を真に鑑賞することは,ただ藝術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である.

ゆえに彼らは茶室において得た風流の高い規範によって彼らの日常生活を律しようと努めた.

全ての場合に心の平静を保たねばならぬ,そして談話は周囲の調和を決して乱さないように行わなければならぬ.

着物の格好や色彩,身体の均衡や歩行の様子などすべてが藝術的人格の表現でなければならぬ.これらの事がらは軽視することのできないものであった.というのは,人はおのれを美しくして初めて美に近づく権利が生まれるのであるから.

かようにして宗匠たちはただの藝術家以上のものすなわち藝術そのものとなろうと努めた.


つまり,宗匠が体現した藝術とは,鑑賞者のいない藝術でした.

茶湯は,「綜合藝術」であると言われます.どういう意味かというと,空間芸術である「陶磁器・金工・木工・竹芸・漆芸・書・絵画・裂地・花・建築・庭園など」と時間芸術である「亭主や客の所作や会話・点茶・喫茶からなる4時間」が綜合されているという意味です.

ここでいう空間芸術には先ほどの「陰陽」や「五行」の和合による哲学があり,時間芸術には「洒掃(さいそう)」(水を撒いて,庭を掃く),「應對(おうたい)」(会話する),「進退」(身体の動き)からなる,それぞれ長い修行期間を経て無駄を削いだ最低限の所作=禮(れい)が含まれています.

「綜合」という字は,「総合」とは異なります.「綜合」には,寄せ集めではなく,何か理念を持って集まり,体系づけられる,といった意味があります.

では,その理念とは何か.

それが「侘び」であると,関根先生は言います.

・侘びの心髄

「侘び」は今でもよく耳にする言葉ですが,説明を求められると困惑してしまいます.少し「古さ」を伴った意味を想像する人が多いのではないでしょうか.

『南方録』では,

一物モ不持,胸ノ覚悟一,作文一,手柄一,此三箇條ノ調タルヲ侘數寄ト云々.


とあります.つまり,有名な茶道具を持つ必要はなく,覚悟が最も大事である.また,創意工夫や点前の腕も重要で,これらを備えた人を侘數寄=侘茶人と呼ぶ,といった意味のようです.しかしこれは「侘」ではなく「侘茶人」の説明なので,「侘」自体に注目すると,心得的な意味を含んでいると推察することしかできません.(この心得が次の「おもてなし」に繋がります.)

もっと具体的な言及は『茶湯一會集』にあるようです.

いつれも新しきことを第一とし,至而の侘ニは,洗濯ものニても,垢付ぬを着すへき也


や,

侘ニハ,古竹垣ニ所々青竹サシ込,


といった内容があります.とすると「侘」とは「新しさ」を意味していることになります.更に言えば,全てではなく所々(一部)を新しくするに留めた,不完全性,改善の余地を残す状態が,茶室ではあえて造られていました.

利休にとっての侘は,新鮮さであったといわれています.茶杓も使ったものは捨て,新しいものを毎回使っていたようです.TVドラマで見る利休の茶席は古びたものを使っているイメージですが,実際には新しい物好きであったとされています.

・すべては「おもてなし」へ

侘で綜合された,鑑賞者のいない藝術である茶の世界から「おもてなし」文化が醸成されました.

『紹鷗侘びの文』には,

侘びと云ふこと葉は,故人も色々に歌にも詠じけれ共,ちかくは,正直に慎み深くおごらぬさまを侘と云ふ.

『南方録』「滅後」

サテ又侘ノ本位ハ,正常無垢ノ佛世界ヲ表シテ,コノ露地・草庵ニ至テハ,塵茶ヲ拂却シ,主客トモニ直心ノ交ナレバ,規矩寸尺,式法等,アナガチニ不可云,

関根先生は,亭主のおもてなしの背景にあるキーワードとして,三つにまとめてくださいました.

1.「正直」

ものを正しく真っ直ぐにすることを表し,整理・整頓・清掃・清潔の源となる.

2.「慎み深く」

茶道の「四規」である和・敬・清・寂のうちで「敬」に当たる.内向的な慎みを意味し,同時に外向的には尊敬するという意味を持つ.紹鷗の侘は,まず亭主自らが慎むことが前提となっており,亭主の全ての行為の底流となっている.

3.「奢らない」

「奢る」とは,贅沢すること,飲食を振る舞うことや饗応すること,と同時に,他者に対して傲慢になることを意味する.「おごらぬさま」は,仏教や儒教の戒めである吾唯知足・少欲知足という生活習慣の実践と他者に対する慎しみを意味する.

・補足

文量の関係で,関根先生の講義の中でも重要な位置を占めた「六藝・六行・六徳」,「四規七則」や「五常」といった内容は省略したのですが,気になる人は『周禮』や『茶話抄』あたりを当たってみてください.

また,文書自体の議論もここではしませんでした.例えば,『南方録』は偽書とする意見が多いです.まあしかし,偽だとしても,嘘から出た誠となり,現に茶道があるので,今回の内容には大して影響はないと思います.私もまだまだ勉強不足のため,研究の合間に(時間があれば...)少しずつ勉強してみようと思います.

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