大人の定義

 

京都に来て一ヶ月半が経ちました.

大学四回生時の一年間は,学生らしくないことばかりしていたので,久しぶりに学生として生活し,学生の本分を思い出してきたところです.

広島では,地域という舞台で,自分で仕事を創り,日本の最先端で活躍している社会人と共に活動させていただいていました.

気づかぬうちに視野がかなり広がっていたようで,普通の学生に戻ると,周囲の狭い世界観に違和感を覚えまくるようになっていました.やっぱりあの方達は凄かったんだなあ,と活躍をSNSやメディアを通して拝見するたび思います.

しかし,京都は京都で,哲学的素養の深さに驚く日常を送っています.

 

こんな最近を踏まえて,価値を創って生きる生き方や哲学的な考え方からギャップを感じる今を,たまたま思いついた観点で書こうと思います.

今回のテーマは,“大人と子供の違い”についてです.

この定義から,今の社会問題について言及します.

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いきなりですが,大人と子供の違い,つまり大人の定義を,

「自分の心由来の人生の目的を知っている」

と提案したいと思います.

 

ここでは大人を「十分に成長した人,一人前の人」という意味で使っています.

つまり,年齢的,身体的に十分成長したと考える「成人」とは異なる,内面的な成長度合いでの大人と子供の分け方での定義です.

この定義を軸にして,人生のあり方,悩みの解決方法について書きます.

ちょっと長くなる(通常時の二倍くらいの量)のですが,最後まで読んでいただけると幸いです.

 

 

行動は目的を伴う

最初に私が伝えたいのは,生きている誰しもが何かしらの目的を持っているということです.持っていることに気づいていない人が多い.

 

まず,目的のない行動はあり得ません.

 

歩くのはその先に求めるものがあるからで,

たとえ何も考えず歩いていても,「体を動かしたい」とか,「気分転換」など,行動の先に目的があります.

呼吸も瞬きもくしゃみも貧乏ゆすりも同様です.

行きたくないのに行く学校も,ダイエット中に食べるアイスも,やめられないタバコやギャンブルも,あなたが体を操っている以上,あなたの中に何か目的があるのです.(ここで挙げた例はたまたま思いついただけのものです)

 

(ただ,行動を通して目的が達成されるとは限らないのですが.)

 

 

  1. 一人ひとりが何かしらの目的を持っている.
  2. 目的に気づいていないとしても,その目的を目指して身体は行動している(今までの全ての行動も).
  3. まだ気づいていないならば,現在と過去の行動を振り返ることで自分の人生のオリジナルな目的が何であるか考える時間をとってみよう.

これが私の伝えたいことです.

 

よく偉人の名言や自己啓発の本,宗教などで生きることの目的などがしっかりと書かれたものがありますが,それはそれで,参考程度に置いておいて,

“他人の人生”を読んだところで“自分の人生”はわかりません.

なので,目的は誰かから与えられるものではなく,自分の内側にあるため,自分で探さなくてはなりません.

これが,「“自分の心由来の”人生の目的」と表現した理由です.

 

目的がわからない“自称大人”

目的と手段といえば,私自身の経験から,以下のことが思い浮かびました.

 

自己紹介でよく今までに経験した部活などを聞かれ,こういった内容の回答をします.

「私は,小学校では水泳を習い,中学では卓球部で,高校ではバスケ部でしたが,サッカーが一番好きで得意です」

(サッカー以外のスポーツは思い入れや情熱が薄く,深く突っ込まれても困るので,最も思い入れのあるサッカーを印象付けるようにしています(サッカー以外の話題に期待させる発言が相手を裏切ることを防ぐため).)

 

すると,一部の人には移り気がある印象を持たれます.

しかし,移り気って何でしょう.一貫したスポーツをしていないことが,気が移っている証拠になるでしょうか.それぞれの決断の結果(=手段)が違うとしても,目的は一貫して移っていないかもしれません.

このような例はよく聞きます.興味が多様で色々と挑戦してしまう人.

しかしそれでも,本人がなぜその時にそれを選んだのかを自信を持って話すことができ,自分の心が描く目的に一歩ずつ近づいていることを相手に伝えられるならば,その人は自分の人生に責任を持ち,行動している立派な大人だと思います.

 

逆に他人から指摘されることで,自分を飽き性だと思い込んだり,自分の過去の過ちに後悔してしまうのは,自分の行動の目的を理解していない,典型的な子供の例です.

そのような子供の例が当てはまる,見た目は大人,中身は子供な人々が世の中に多い気がします.

 

理由と責任

自分が選んだ理由を「〜のせいで」とか「なんとなく・・・」で済ますことは,未来の自分への無責任です.

どのような環境であれ,自分で行動を起こしたのならば,自分自身の中に,確実に理由があります.他人のせいにしたくなるような環境にいたのならば,なぜその環境に自分が身を置いたのかを考えるべきでしょう.

そして,理由がわかったとしても,その理由でもって自分を責めるのではなく,「では,〇〇の理由で△△の行動をした私は,一体何を求めていたのだろう」と,さらに考えてみなければなりません.

(注:ここで「〇〇が理由ということは目的も〇〇ではないのか」と思われるかもしれませんが,ここでは違います.もし〇〇自体が目的であったならば,悩む必要はないからです.理由とはその行動に直結している動機で,一時的なものですが,目的は変わらずに前に在り続けます.人を矢であるとして,人生を矢の軌跡であるとすれば,目的は“的”の文字の通り,人生の最終地点を指します.つまり「これを成し遂げたらもう生きることに満足で思い残すことはない」と言うところの“これ”に当たるものです.〇〇が“これ”に当たるならば,満足するはずであるから,悩む必要はありません.)

 

 

理由と目的

もし自分が取った行動の理由を全て説明できるなら,後悔することなく,自信を持つことができます.

たとえ行動した結果,失敗(思い通りの結果にならないこと.ここでは予想より低い結果の意味で用いた.)したとしても,その時の自分がそうせざるを得なかった理由はわかっている(仮定より)ため,当時の自分がどこの認識を誤っていたかを知ることができます.それは,二度と同じ失敗をしないための貴重な情報を得たということです.つまり,どんな失敗も“成功”になり,自信になり,後悔しません.

 

実は,上で仮定した,行動の理由を全て説明できる,というのは目的ありきのことです.

つまり,今までの様々な行動を振り返り,その行動の理由を集め,自分の人生の目的を発見する.そして今度は,目的を出発点に考えると,全ての行動の理由が説明できるようになる,ということです.

 

(私は考えてしまう性質なので上のような論理で自分の目的を導きましたが,感覚的に鋭い人は,深く考えることなく,自身の生きる目的にたどり着いているようです.)

 

目的さえ分かれば,自分の心の性質と周囲の環境を踏まえてどう目的に向かうかを考えれば良いだけとなります.それらは,行動さえすれば自ずとわかってくるものですし,失敗しても成功しても目的に近づいたことになります.これまでの議論から,「自身の目的に近づくこと=近づいた程度だけ満足すること」と言い換えられる(目的に沿った欲求があり,欲求を満たすための行動をすることで満足感を得るから.)ため,何が起こっても楽しめる人生となります.

 

最後に

なぜ自分の人生の目的を知ることを“大人の条件”と表現したかというと,「十分に成長した人,一人前」であるはずの成人たちが,自分の人生に責任が持てていないからです.

 

自分の人生を自立できていない“自覚のない子ども”が多いことがたくさんの世の中の問題を引き起こしていると考えます.

自分が原因であるにも関わらず,他人に責任を押し付ける人間がたくさんいますが,彼らは,本気で他人に原因があると思っています.自分が決断し行動した人生の責任を放棄し,他人に押し付けるなんて,滑稽な生き方です.恥ずかしくないのでしょうか.

逆に,他人が原因であるにも関わらず自分のせいだと思い込む人も多いと感じます.このような人も,自身の行動が何に依存しているか(自身の人生の目的のこと)を理解できていないため,他者の言動に揺さぶられます.労働上の問題なども,そもそもやりたいと思っていることではない会社に入るとか,やりたいことがあるのに諦めているところが最初の要因ではないかと思います.ないなら理想の会社を起業すれば良いですし,最終的に自分で選んだ環境であるならば,なぜそこを選んだのかを改めて問い直す必要があるでしょう.

 

 

今の社会には,自分の人生の目的を考える風潮はありません.

私は,「それぞれの人生をどう生きるべきか」について,教育の中でもっと考える時間を持つべきではないかと考えます.(もちろん子どものどんな発言も受け止められる環境構築が優先ですが.)

 

心と結びつかない(客観的)知識ばかりが重要視されています.しかし,どのような人であっても認識は主観です.科学が発達した今の時代に,いかに主観的見方,心の哲学を育むかが重要だと思います.

 

目的やプロセスをはっきりさせることがビジネスやプロジェクトでは当たり前ですが,同様に普段の生活でも明確にすべきで,仕事中だけでなくプライベートまでも目的がはっきりしていればしているほど成功していくのだと思います.(ここはもっと深く考察可能です.目的の利他性・利己性や,各行動の目的一貫度,成功を個人的視点で見るか社会的視点で見るか,などの尺度から.)

 

心の中の道筋を整理(人生の目的認知)した上で,次の段階,今の心の状態を引き上げるか(禅的手法)または,それらを同時進行するするのが良いのかな,と思いました.

 

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...という感じで,なるべくそれっぽい論理で書こうとしましたが,構成がまとまりきっておらず(推敲していない),いくらでも議論の余地があるような提案です.

数日経ったらもっと思考が深まっているような気もしますが,とりあえず現状のアウトプットということで書きました.

 

次こそは研究プランをまとめたい...と思っています,が,気分次第で次回何書くかはわかりません.

 

ここで全く触れなかった命題『大人になる必要はあるのか』についても考えてみてください.

 

 

長〜い文章を最後まで読んでくださり有難うございました.

感想お待ちしております!

 

今回のアバウトな要旨

『内面が十分に成長していないなら,未熟である事実を知って生きるべきだ』

『年収とか学歴とか役職で内面的成長度(立派度)を測るんじゃなくて,自分の人生の責任を果たしているかどうかでまず測るべきではないか』

『大半の悩みは今までの行動を振り返ることで解決できる』

 

 

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